睡蓮の池のほとり

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 「こんなものを見つけました。」は、先にメールで申し上げた如き逡巡のため、一旦掲出を終えます。お申し付けいただければまた呈覧します。




 ねね様に対し宝塚歌劇「天は赤い河のほとり」鑑賞の感想呈上 その1
 貴サイトを拝見すればねね様には御予定の通り無事御来県、宝塚大劇場でも大いにお楽しみになった御様子を貴サイトで拝読致し重畳に存じます。何でも新幹線で日帰りという強行軍とか、お疲れ様でした。しかし、新幹線でお越しならそのままJR線で宝塚までお越しになる方が早くて楽で安くてよろしいでしょうに、敢えて阪急線を御利用になる点、ねね様には宝塚歌劇というものの成り立ちにより深く御縁を結ばれたものと感銘致しております。

 当管理者も予定通り19日、申すまでもなく阪急電車で大劇場へ行って参りました。この日は午前中、宝塚の知人と面談する所用があり(だからこそこの日のチケットを入手したものです)、大劇場へ入ったのは開場寸前でした。余裕があれば観客各位の中の「原典愛読者」らしき方が何人かでも見分けられるものか、観察してみたかったのですが。…少なくとも例の「チケットホルダー」をちらつかせていた人を認めることはできませんでした。

 ねね様による「100の質問」にお答え申し上げて以来、実現したらいいな、とは考えつつもまさか本当になるとは思いもしなかった「舞台化」、いや、実に「タカラヅカ」でした(以下本稿中、この「タカラヅカ」というカタカナ表記に「憧れの美の郷」たる宝塚歌劇というもの、という意味を込めましょう)。
 タカラヅカというのは、原作など知らなくても楽しめるものでなくてはなりません。
 タカラヅカをタカラヅカたらしめるのは、生徒さんの御活躍ぶりや音楽、舞台装置等の使い方であって、原作はそんな「献立」に調理される「食材」に過ぎません。人は料理として仕上げられ、供卓された献立を賞味するために大劇場に通うのです。原典は、そんなタカラヅカ料理の材料として理想的な、いや「タカラヅカのために」描かれたのだ、と称しても通る素材なのではないでしょうか。
 篠原先生の御作品一般、更には元来なら少女漫画一般に言えることかも知れませんが、原典には「生臭い男性が出てこない」という特徴があります。仮に「エッチな」挙に出る人物がいたとしても、生臭さは描写されないのです。タカラヅカが人気を、特に女性の間で博する秘密の一つが、左様に生臭さがなく、綺麗な所だけで形作られた(特に女性から見た)理想の男性像なのではないでしょうか。そして原典の中にはそのように、タカラヅカの様式美に則って「実体化」するに不足ない男性たちがずらりと陣取っているのです。
 となれば、申すまでもなくそれに伍して咲き誇る女性たちも負けている訳がありますまい。

 その材料を、「脚本」というレシピが如何に扱うか。タカラヅカ料理独特の夢の味わいは、まずこのレシピにかかっている、と申せましょう。
 今回はまず、その脚本の巧みさに感心しました。浩瀚な原典を90分程度の舞台にまとめるとなると無理は多少どころではありますまいが、原典中の重要場面も割愛すべきは割愛し、原典にはない場面も挿入して辻褄を合わせ華やぎを加え、しかもできるだけ材料の原型を残してお話をまとめ上げてある点、おそらくはオリジナルの演目を書き下ろされる場合とも変わらないほど、御才能豊かな脚本家先生の御精進と御熱意が注ぎ込まれていることを感じました。

 その料理ぶりを「原作ファンがどのように感じているか」。それはまあ人それぞれでしょうが、その前に、ねね様のように原典の筋書を諳んじ、しかも描かれた場面を即座に想起できる、というファンの方は、連載当時ならいざ知らず、今となっては激減してしまっていることと思われます。その上、元々宝塚大劇場には純粋に「演目に惹かれて」観劇に向かう人はごく少数でしょうから、調査対象となり得る観客の総数自体、ごく限られたものでありそうです。

 そのような中で当管理者、当日プログラムなど読まずに客席に納まったので、原典の筋書きが大幅に改変されていることにはまず興味を感じました。
 「ファンプック」19ページからの導入なら、語り手はアルマダッタ・バーニの方が適切とも思えますが、それをキックリが勤めるというのは、実際にキックリの筆になる文書が出土しているという「史実」との関係でしょうか。また、ヒッタイトへ連れ去られた場所も原典の記述と違って「校庭」。なるほど、そうしておいた方が余計な説明が要らなくて楽でしょう。第一、夕梨さんは「高校生」なのだそうですから、要らぬ事に触れるとますます辻褄合わせに時間を取りますし…
 序盤、抜き放たれた剣が「茶色い」ことが認められ、「ああ、後で鉄剣に関する挿話が出てくるのだな」とは思いましたし、地下牢の場面以降、ちゃんと「銀色の剣」も使われていました。しかし、原典中では重要な意味を持つ「鉄」についての件が、充分活かされていたとは思えません。むしろ思いきって、鉄の話などせずにおいてもお話は進みそうです。ただこの原作にはない地下牢の場面では、チョーカーのお話や製鉄の秘法についての挿話の他にも乳香のかおりで人の貴賤を識別する件、水路を泳ぎ抜けて移動する件など、原典にある小さな挿話をこまめに取り入れておられるのに気づくことができました。
 そうすると、脚本の先生が「原典に描かれていることは取り込めるだけ取り込む」ということに努められた様子がよく解ります。筋書だけで考えれば、「皇子のエジプト婿入り」という挿話がないのならハットゥシリがいなくても間には合いますし、そうなるとテリピヌやピアシュシュリなど余計に… いやそれでも王宮の場面、ただ座っているだけで大きな存在感を見せてくれたテリピヌの渋さなど、原典に登場する脇役たちの味わいに魅せられた当管理者には嬉しいものでしたが。

 そして忘れてはならない、音楽の点でもさすがはタカラヅカ。作者先生お気に入りと伺う「マラシャンティア」という言葉も曲名の一つに採られ、曲も詞も歌唱もダンスも、そしてタカラヅカならではの生演奏も申し分ない煌びやかさでした。この点はもし今後原典が他で舞台化されたとしても、この水準に追いつくことはそうそう容易ではありますまい。


 終演後、郵便局で並び順を譲り合うことになった、大劇場常連だというお三方(みな当管理者よりはお姉さんらしき県内在住の方)と立話をすると、皆さん原典については御存知なかった由、何でもお仲間ではアニメ作品だと誤認なさっていたようでした。そこでもとは少女コミック誌の連載漫画だがアニメ化はされておらず、サウンドシアター化が試みられたこともあるが未完であることを説明、ぜひ原典もお読みいただけるよう、全巻売っている「キャトルレーヴ」の方を指し示してお勧めしておきました。…あまり気のなさそうな反応でしたが。
 このことに言及してしまうと、「サウンドシアター」が未完であること、また残念に思えてきました。

 ねね様にはもしや「フェリエ」の公演ランチでもお召し上がりでしたか。観劇する気などなくとも立ち寄る大劇場内でも手っ取り早い「フルール」には何度か入ったことがありますが、「フェリエ」には毎度なかなか凝った献立があるとは聞きながら入ったことがありません(また御感想全編を公開なさった後ででも、様子をお聞かせいただけるのを楽しみに致しております)。せっかくなので今回の公演中、暇を見てまた(空いているであろう)開幕中の時間を狙って立ち寄ってみようと思います。
 御参考までに、当サイトに掲出する「平成30年用年賀状」に使った写真に写っているサンドイッチは「ブライト」で、ペットボトルはバウホールの前の正面入口近くにある自動販売機で求めたものです。
 この「年賀状」については、掲出以来これまで存じ上げなかった方からも何件かお問い合わせがありました。中には「ヅカファン」だと明らかになさった上で「写っている本」の説明をお求め下さった方もあり、もちろん詳細はご案内しておきましたが、ムック「ザ・タカラヅカII 宙組特集」についてはもう18年前の本のこと、このほど「キャトルレーヴ」で訊いてみても「ありません」ということでした。どういう経路で辿り着かれるのかはともかく、宝塚歌劇関連の検索で閲覧なさる方が増えるようなら、異例ながらこのページに意匠の注釈を付することも検討しています。

 ねね様には今度は5月以降、またこの演目を東宝で御覧になることでしょう(勝手に決めつけていますが)。当管理者には行ったこともない、そして今回も残念ながら足を伸ばしている余裕のない東京公演のレポートも、拝読できれば幸いに存じます。
 そして当管理者は、当面次は24日、もう一度大劇場へ行って参ります。とはいえ、当サイトでは目下の所従来の例に依り特に本件に関するページを設ける予定はありません(このページは正にそういうページですが、この存在は公表せず…)が、また新たな感想を得ることができるかも知れません。当初、観劇の感想をまとめるとすれば24日以降、と考えていたのですが、この度ねね様からの御所望を賜り取り急ぎご報告を申し上げるに、このページを以てすることと致します。
 末筆ながら、ねね様、とも様K様に於かれましては今後共益々御健勝の程御祈り申し上げます。
(平成30年3月22日)



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