睡蓮の池のほとり


救国の烈女

(あまりに読みにくい場合、先に後書をご覧ください)

なつめをかひにでかけてよかつた・ほんたうはかひものなんてわたしのおしごとではないのだけれど・わたしはほんたうのしめいをおもひだした・このしめいをはたすためにわたしはうまれてきたのだわ・かしこくもくわうたいごうさまをおとしいれたてまつらうなんておそれおほいたくらみをするものがあるなんてしんじられない・そんなわるだくみはなんとしてもはばまなくては・このたいせつなときにくにをみだすやうなことはやめさせなければ・さうすればくわうたいごうさまもおこころおきなくくわうていへいかのおるすをおまもりになれるしくわうていへいかもごしんねんなくおほみいくさをおすべになれるのだわ・なんといふほこらしいつとめでせう・なんとしてもこのおつとめをはたさなければ・どんなことをしてもえじぷとからもちこまれたあやしいものをみつけださう・そしてしんくわんさまにごほうこくしやう

わたしだつてきぞくのむすめなのよ・だからこそきゆうていぢよくわんにならせていただけたのだわ・なのにおつとめといへばおはしたしごとばかり・こんなしごとはいやしいみぶんのはしためにでもやらせておけばじふぶんなのよこんなのきぞくのむすめのしごとではないわ・そのうへなによあのおんないくらいしゆたるさまのおきにいりかもしれないけれどたかがへいみんのいなかむすめじやないの・どうしてきぞくのむすめのわたしがこんなおはしたしごとにあけくれてあんないやしいおんなにつかはれなくてはならないのどうしてあんなおんながぢよくわんちやうなのよぜつたいおかしいわ・いしゆたるさまやへいかがたいせつなおはなしをなさるときにもわたしはとほざけられてしまふなのにあのおんなだけはいもうとたちまでひきつれておそばにいさせていただけるのよ・だいたいへいかがいしゆたるさまなんかをかはいがるからいけないのよどこのうまのほねともしれないつまらないおんなをおそばにおかれるからはでいなんかまでがいばつているのだわいもうとたちにまでおほきなかほをさせて・でもしんくわんさまはわたしのきもちをわかつてくださつていたのだわさすがはくわうたいごうさまのおつきをおつとめになるたふといおかただわ・きぞくのほこりがおわかりなのよ・だからわたしにもおくにをききからまもるぢゆうえうなおしごとをくださつたのよ・たとえめだたないしめいでもりつぱにくにのへいわとちつじよをまもるほこらしいおつとめよ・もうはでいなんかのさしずをうけるのはごめんだわ・さうよこのおつとめをはたせばわたしだつてくわうたいごうさまのぢよくわんちやうになれるのよ・さうしてこんどはわたしのあしもとにはでいをひざまづかせてやるわ・くわうたいごうさまはくわうていへいかのおかあさまだものもうはでいなんかにえらさうなくちはきかせないわ

ほらやつぱりわたしのみこみにまちがひはなかつたわ・やつぱりあやしいのはいるばあにさまだつたのだわ・さうよきつとこれがさうだわ・しよかんをこんなところにしまつておくなんてあやしすぎるもの・きつとうしろめたいのだわただしいものにみられてはぐあひがわるいことがかいてあるのだわ・ああほこらしい・わたしがくんそくのかんをうつのだわ・わたしのはたらきでくにをくつがへすわるだくみがうちくだかれるのだわ・いるばあにさまにきづかれないやうにそつともとにもどしておいてはやくしんくわんさまにおしらせしやう・さあゆきませうしんくわんさまのもとへくわうたいごうさまのもとへ

さすがしんくわんさまだわ・こんなにたいせつなおつとめなのにけつしてむりなことはおめいじにならなかつたわ・しよかんをもちだせなんてむりじひはなさらないのね・なんておやさしいしくわんさまなのでせう・ただこはせばいいのならわたしにもできるわ・いのちにかへてもなんておおせだつたけれどそんなにおほげさなことではないわ・でもほんたうにいのちだつておしくはないわだつておくにのへいわをまもるたいせつなしめいのためだものおくにのためにいのちをなげうてるのならきぞくとしてくひはないわ・わたしはあのはでいなんかのやうにいやしいむしけらのやうなみではないのよ・いざとなればきぞくとしてけだかくいのちをなげうつわ・ほらここにあつたさつそくおにわのすみででもうちこはしてうめてしまいませう・これでず…

あ・あ・あ・こんなじかんにいるばあにさまがおもどりになるなんておもつていなかつたわおちつきなさいおちつくのよあだ・ほらいつものやうににつこりとえがほでいるばあにさまにごあいさつしてものしづかににここをさがつてそつとしよかんをこはすのよしよかんはもうわたしのふところにあるのだからあはてなくてもいいのよ

どうしてへいしがおつてくるのわたしはただしいことをしているのよ・そんなにこのしよかんをこはされてはこまるの・あのへいしもこのへいしもわるもののなかまなの・あなたたちもめをさましなさいあなたたちはしらずしらずにおくにをみだすわるだくみのためにつかはれているのよそんなわるもののてさきになつてもろくなことはないわわたしをにがしてわたしをゆかせてそれがあなたたちにできるおくにのためのおつとめなのよ・はなしてよわたしにはたいせつなしめいがあるのよつかまへてもだめよぜつたいしよかんはわたさないわこのしよかんはしんくわんさまにしかおわたししないのよしんでもはなさないわ・つかまるつかまつてしまふ・よししなう・しなう・あのばるこにいからしよかんをぢめんにたたきつけて・このみもなげてしよかんもこのみもこなごなにしてしまわう・しなう・しんでしんくわんさまのてでかみとまつられやう・きうこくのれつぢよあだ・かみとなりてぞくにをまもらむ・はなせ・けがらはしい・わたしにふれないで・へいしがものすごいちからでわたしのうでをからだをおさへつける・よしここでこはさうこはしてしまへばわたしのしめいははたされる・えい・これでいいわ・このかたいいしのゆかにたたきつけられたしよかんはこなごなになる・くわうたいごうさまをおとしいれておくにをみだすわるだくみもこなごなになる・あれはだれあるざわのわうぢよさまだわしよかんをうけとめるつもりなのむりよむりよ・ほらむりだつたこなごなになつたわこれでおもひのこすことはないわ・いるばあにさまがおこつているこちらへくる・わたしのえりくびをつかまへる・なによなぐるつもりなのなぐりなさいよもういくらわたしをせめてもしよかんはもとにはもどらないもうなにをされてもこはくはないのよ・さあなぐりなさいなぐりころしなさいよわたしを

うぐっ! うう… わ…わたし…? 何を…!? 


 原典には、魔力を以て「操られた」人物が何人も登場します。操られている時というのは、一体どんな気分なのでしょうか。
 もとより、尋常では理解し難い異様な心理状態でしょうから、その理解し難さと異様さをご覧のような異様な文体で表現してみました。
 このお話、原典では全て第23巻の範囲ですが、第1段は65ぺージから、第2段は86ページあたり、第3段は90ページ、第4段は101ページ、第5段は103ページ、第6段は106ページ以降、そして最後の一行は112ページ冒頭の科白に当たります。
 異様な文体とはいっても、全部ひらがなの旧仮名遣い文だというだけのことですが、敢えて読みづらさをも狙ったものですので、念のため別に通常の現代仮名遣い文に書き改めたものも掲載しました(参照)。

 このお話の主人公は、ムルシリ二世に従ってウガリットへ進出した宮廷女官・アダです。第23巻・61ページでウルヒに声を掛けられ、操られている時の胸中です。
 アダは本来、決して少ない額ではなかろう袖の下を掴まされても惑わされない(第23巻・63ページ)毅然とした忠義の女官です。

 とはいえ、アダはハディよりも年長のように見えますし、<アダならベテランだもの>(第23巻・88ページ)と言われているように王宮での在職年数も長そうです。おそらく、少なくともナキアの皇妃時代にはもう在職していたでしょう。その上、<王宮勤めの女官は皆貴族の娘です>(第12巻・144ページ)という以上、アダとて例外ではないでしょう。
 そうなると、ムルシリの即位に伴い、突然平民出身の新参の小娘を「女官長」と仰ぐべき立場におかれて、心穏やかではなかったのではないかと思われます。無論、普段ならそのような私情は押し殺して職務に精励していたでしょう。
 しかし、自身の立場や隠された不満の正当さに寛大な理解を示してくれ、一方で与えられる使命の重大さと達成の容易さを吹き込まれ、併せてその見返りを示されれば、アダではなくとも喜んでこの工作に取り組んだのではないでしょうか。別に使われる者が感激するほど、使う者は本人を見込んではいなくとも。
 このためには、怪しげな薬など必ずしも要しないでしょう。我々の社会でも、人に勤労意欲を持たせるためにはこのような方法が普遍的に使われているのですから。

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