睡蓮の池のほとり


日出ずる国へ(前編)

 「おや、バーニ先生。どこへ行ってたんだよ。先生もユーリちゃんも、突然いなくなっちゃってさ、みんな心配してたんだよ。」
 「ああ、宿屋の。いや、すまなかったな。実は、急に事情が変わってな。ユーリを保護者の所へ送り届けてきたのだ。」
 「えっ。じゃ、例のごたごたっての、片付いたのかい。
 よかったじゃないか。全く、貴族さまのお家なんてのは、面倒なものなんだねえ。」

 「ああ、全くだ。おまえたちにも心配をかけた。しかしもう、そっとしておいてやってくれ。ユーリがここへ戻ってくることもないだろうが、そっと忘れてやって欲しいのだ。ああいう娘が、しばらくとはいえ町方で暮らしていたなど、自慢にはならぬからな。」
 「忘れろったって… ああ、解ったよ。皆にもそう言っておいてあげるよ。…そりゃそうだろうねぇ。貴族のお嬢さまが、こんな下町で寝泊りしてたってんじゃ…」
 「本当にすまぬ、女将。この度は、挨拶もできずに立ち去らせることになってしまったが、ユーリも感謝していたぞ、町のみんなの親切にな。」
 「感謝って。貴族の間じゃどうなのか知らないけど、親切なんてのは当たり前なんだよ、この町じゃ。
 でも、いい子だったね、ユーリちゃん。元気でさ、賢くてさ。ちょっと浮世離れしたとこさえなきゃ、貴族のお嬢さまだなんて、信じられないくらいだよ。
 で、どこへ引き取られていったんだい、あの子。」
 「それがな、…外国なのだ。故あって、詳しくは説明できぬのだが… 悪く思わないでくれ、これも貴族の家の窮屈さなのだ。」
 「解った解った。あたしだって、聞いちまって喋っちまって、貴族を侮辱した、なんてお咎めを受けちゃたまらないからね。皆にも注意しとくよ。
 あ、そうだ。船大工の親方がさ、困ってたよ。何でも、新しい船を作ってるらしいんだけどさ、お役所にお許しを貰ってからじゃなきゃ、浮かべられない掟らしいんだ。先生が急にいなくなっただろ、その願を代書してくれる人がいなくて…」
 「ああ、船籍取得の手続だな。わたしはもう当分ここを動かないから、いつでも書いてやる。親方にそう言っておいてくれぬか。」
 「あいよ、言っとくよ。親方ならしょっちゅう、うちの亭主と飲みに来るからね。」

 帰った来たのだ、カルケミシュに。

 これで、全てが終わった。とても満足だ。
 町内の誰からも信頼を得ているあの女将にああ吹き込んでおけば、どういう順序をたどるのかはどうも理解し難いが、とにかく明日にはもう町中に噂が広がっているだろう。
 そして、それは事実として町の者の間では信じられるはずだ。
 驚くほど親身になって世話を焼いてくれる町方の者らに、最後まで嘘を通すのは心苦しいが、已むを得まい。
 ユーリが実は今上帝の皇女であり、わたしはその乳兄弟、つまり、ユーリの乳母の息子なのだと打ち明けたところで何の益もない。いや、こういう事態になった以上、余計なことを知ってしまえば反ってあの者らの身に災難が及ぶ。王宮も軍も県庁も、情報統制には躍起になっているのだから。
 書記官崩れの不良貴族が、ハットゥサを飛び出してカルケミシュへ流れてきた。そこへ、お家騒動のあおりで家にいられなくなった親戚の娘が頼ってきた。それでいいではないか。
 わたしはもう、役割を終えた。後は一生この町で、一市井人として暮らして行くのだ。
 知事は、また何か事があれば呼びに来るだろうが、相談に乗って差し上げるぐらいは已むを得まい。今のわたしはあくまで、カルケミシュの一市民なのだからな。
 貴族ではあっても、そして、ヒッタイト人ではなくても。

 ヒッタイト人ではない、といえば父も、そして祖父も憮然とするだろう。しかし、それが事実なのだ。わたしは、もう自分がこの国の人間だとは思わない。
 そもそも私の先祖は、アッシリア貴族だ。だからわたしも、一応貴族だと名乗っているし、それについてどこからも咎めはない。その代わり、特に利益もない。
 その先祖が、ヒッタイトに移住してきた。当初は、アッシリアとヒッタイトの間に立って、通商政策の調整などの仲立ちをしていたらしいが、そのうち自分でも商売に乗り出すようになり、財をなしたのだという。
 そういう訳でわたしの家は、この国の皇室と懇意の関係にあった。財力の点でも家格の上でも、それに相応しい家柄なのだ。
 そういう縁で、曾祖母が皇帝の第三皇子の乳母に招かれた。だからわたしの祖父イル・バーニは、その第三皇子、後のムルシリ二世帝の乳兄弟ということになった。
 祖父の代になると、もう商売の方は人に委ね、自分は王宮に出仕して官僚としての道を歩むようになっていた。祖父は商業よりも政治の方面に頭角を現し、元老院議長にまで上り詰めた。この目覚しい出世の裏側には、己が乳兄弟であるムルシリ二世帝の強力な引き立てがあった。何しろ、第三皇子であったムルシリ皇子が皇帝の座を勝ち取ったのには、祖父の多大な貢献があったらしく、三十年以上に及ぶ治世が「聖の御代」とさえ讃えられる裏側にも、常に祖父の巧みな政策があったらしい。
 父も、その後を嗣いで書記官となった。父アルマダッタ・バーニは祖父とは違い、政治の方面よりもむしろ学者として、著述家として名をなしている。
 わたしも幼い頃から、王宮内にあった邸で、一心不乱に粘土板に向かう父の背中を見ていた。そして父の傍らで粘土をこね、棒切れで字を書く真似をして遊んだ。父が不在の時にも、堆く粘土板の積み上げられた父の文庫を遊び場にしていたものだ。
 文庫には、あらゆる記録が備えられていた。わが祖先の、アッシリア時代の文書もあれば、その都度王宮の文書庫から払い下げられた文書も保存されていた。わたしが知らず知らずに学問に親しみ、父のような学者を志したのも当然であったのかも知れない。
 母は、ユーリ姫の乳母であった。わたしはユーリ姫など子分のようにしか思っていなかった。ユーリ姫も、わたしの妹や弟を相手にお姉さんぶっては喜んでいた。皆幼かった、よき時代の話だ。
 そんな関係でもなければ、幼くしてエジプト王の正妃として嫁ぐことが決まっていたユーリ姫に、わたしのような異性が近づけられるはずもない。ユーリ姫が気易く口を利ける同年代の男の子といえば、わたし以外にはいなかったのではないだろうか。

 わたしが父について王宮に出、書記官の見習を始めた頃、ユーリ姫はもう花嫁修行に大忙しだった。昔のように、時間があるからといって四六時中一緒に遊んでいる訳にはいかなくなっていたが、それでもたまさか顔を合わせ、話すことはあった。
 わたしもその頃には本格的な学問に取り組むようになっていたから、ユーリ姫が進講を受けているという内容も、理解できなくはなかった。
 しかしわたしは、ユーリ姫から進講の内容を聞けば聞くほど、首を傾げざるを得なくなった。
 内容が、あまりにも偏っているのだ。花嫁修行というよりは、修身の講義だ。教えられているのは国を思い、国のための役割を果たし、国を誇り、国の威信を保つ。そればかりなのだ。教養や技芸、武術までも、そのために必要だからという位置づけの補助科目でしかない。
 わたしとて、いずれは祖父や父と同じように国の役人になるための勉強をしていたのだから、父からは折に触れて、国を愛するということの大切さ、素晴しさを教え込まれてはいた。しかし、それはあくまでも基本的な心構えというものだ。学問という物はいろいろな視点から、いろいろな立場からの解釈を兼ね学ぶことによって奥行が出てくるものなのだ。
 いろいろな事を学ぶ、そのこと自体は、ユーリ姫には苦にならないようであった。顔を合わせるたびに、姫は新しく学んだことを嬉々として話してくれた。まるで学問の進み具合をわたしと競い、楽しんでいるかのような態度であった。
 しかし、その目の色は会うたびごとに変わっていった。日を追うごとにユーリの目は狂信者のような輝きを帯び始めたのだ。
 無理もない。年端も行かない頃から碌に友達もなく、大人にばかり囲まれて、四六時中監視されながらの花嫁修行を当たり前だと思い込んでいたのだ。
 ああしてはいけません。こうなさるべきです。
 皇族と生まれたからには学べるだけ学べ。そう言い聞かされていたのも形ばかりだ。窓もない部屋に閉じ込められ、選ばれて壁に飾られた絵だけを眺めさせられているような暮らしだったのだ。
 わたしは、姫の語る「学問」に異を立てることが多くなった。
 そんなことを民衆は望んでいない。そんな理屈は世間では通用しない。そんなことは歴史上、成功した例がない。
 その度に姫は反駁した。それでも結局はわたしに言い負かされて、ぷい、と立ち去ってしまうのがいつものことになってしまった。昔のように、意見が合わないからといってつかみ合いの喧嘩を始める年齢では、なくなっていた。
 姫とわたしに兄妹のような関係をもたらしてくれた母も、もうこの世にはいなかった。
 しかも皇族と臣下。そして女と男。そういう立場の違いは、もうお互いが知っていた。
 
 やがて、わたしは書記官に任官した。といってもまだまだ子供だったが、父と親子しての書記官となったのだ。
 正規の書記官ともなれば、主筋の姫と気易く兄妹紛いの曖昧な立場で会うことなど遠慮しなければならなくなった。
 それが淋しくなかったといえば強がりになるかも知れない。しかし、わたしはそれよりも、まだ父よりも二周りも小さな身体を父と同じ官服に包み、大ヒッタイト帝国の官吏に列せられたことが、晴れがましくてならなかった。
 姫は、皇族だとは言っても直接政務に関っているわけではないから、書記官の立場で目通りを願い出る機会などありはしない。それでも、たまには姫の方から女官を通じ、「皇女殿下にはご学問に関しご疑問の点おありにつき、書記官アサティルワ・バーニに進講をお求めの思し召しあり」などという沙汰が下されることもあった。
 疑問と言っても大した内容などない。上座から「アーシャ」と呼びかけられ、下座から「ユーリさま」とお呼びしながら、ただ甘えたような愚痴を聞いて差し上げて、わたしがお励ましを申し上げる。そして周囲に気付かれないように、にこりと微笑みあって退出する。その程度のものであった。
 その程度のことがかけがえのない息抜きのひと時だった、と、後に姫の、ユーリの口から聞いた。

 ある時、父の著作が出来上がった。わたしはその写本を作ることを命じられ、父の著作を机に積み上げ、一字一句違えずに書き写す作業に従事した。
 父の著作を写す作業はもう何度もこなしていた。そしてわたしは、そのどれもが素晴しい内容を持つことを理解し、その著者がわが父であることに誇りを感じていた。
 この時の著作は「国家・都市見聞記」であった。父が精魂を傾けていた、ユーリ・イシュタル皇妃陛下のご事績の記録の一部をなすものであった。
 ところが、筆写を進めるうち、わたしは不審なことに気付いた。何かの間違いではないかとさえ思った。
 この著作には、わがヒッタイト帝国を取り巻くあらゆる国や都市について、当時の記録を事細かに引用し、それらとユーリ・イシュタル皇妃陛下との関係が述べられているのであるが、その中に、わが本貫・アッシリアについての記述が見当たらないのである。
 粘土板が脱落しているのではないか、とも考え、枚数を数えてみたが異状はない。当時アッシリアという国は存在しなかったのか、とも疑ったが、そんなわけはない。雌伏の時代であったかも知れないが、確かに存在したはずだ。
 それでも、父の著作に欠陥があるはずはない。だからわたしは疑念を振り払うようにして、写本作りに打ち込んだ。
 写本の一部目が仕上がると、わたしは父に報告がてら、アッシリアに関する記述について質問してみた。
 「ほう、気付いたか。確かに、アッシリアに関する記事は割愛した。
 今、アッシリアとわが国がどんな立場関係か、おまえも知らないわけでもあるまい。そして今回の著作は、皇帝陛下にも奉献することになっている。
 この文献は、政治宣伝が目的ではない。だから、どの国、どの都市に対しても、できる限り好意的な記述をしたつもりだ。しかし、その伝でアッシリアに好意的な記述が、今の王宮で受け入れられると思うか。
 ただでさえわたしもおまえもアッシリア貴族の裔なのだからな。痛くもない腹を探られるのは御免蒙る。」
 「しかし父さま、父さまは学者でしょう。史実は史実として、公明正大に記録すべきではないのですか。現に、アッシリア関係以外の部分では、わたしのような駆け出しの者が見ても終始そのお立場を貫かれている。それなら…」
 「いいか。我々は元々アッシリア系の人間なのだ。ただでさえわたしを、アッシリアのスパイではないのかなどと勘ぐる下種もいるのだ。この上、わたしは王宮内での立場を苦しくしたくはない。」
 「それとこれとは話が別でしょう。」
 「今の王宮では、何につけてもアッシリアの非を挙げ、論難して見せることが忠誠の基準だと言っても過言ではない。おまえも毎日王宮にいれば解るだろう。下手なことを書いて排斥されるのは、宮廷人として愚の骨頂だ。」
 「宮廷人として、とおっしゃいますが、ではアッシリア貴族としての矜持はどうなるのです。時代の趨勢に阿って、わが祖国を無視することが正しいとでもおっしゃるのですか。」
 「だから。書かなかったのだ。悪し様に書く位なら、割愛したほうがましであろう。
 なあ。宮仕えというものは難しいものだ。この著作は皇帝陛下にも献上することになっている。今、アッシリアのことで日夜宸襟を悩まされている陛下に奉るのだぞ。もしや陛下の逆鱗に触れて、解職されたらどうするのだ。
 おまえもそろそろその程度の世渡りは覚えたほうが、将来のためだぞ。」
 「しかし、これでは後世、ムルシリ二世帝の御代にはアッシリアという国が存在しなかったか、少なくとも取るに足りない、マラティアやビブロスなどという国ともいえない都市にも劣る国であったことになってしまいます。学者なら学者らしく、胸を張って事実を記し伝えるのが勤めではありませんか。アッシリア貴族ならアッシリア貴族らしく、毅然として祖国の名誉を輝かせるのが勤めではありませんか。あまりにも卑怯です。」
 「黙れ! 生意気な。
 いいか。確かにわたしはアッシリア貴族だ。しかし、今はヒッタイトの貴族として認められているのだ。そして、元老院議長を勤められたわが父上はいうまでもなく、わたしもおまえも、当家は累代このヒッタイトの禄を食んでいるのではないか。その御恩を忘れる事が人の道だとでもいうのか。」
 「ではお伺いします。アッシリアを賛美した者は官職を剥奪する、などという法典が、この国にあるのですか。あるわけがない。法に触れず、その上史実に忠実な記述。それを行うことが、人の道に外れるとでもおっしゃるのですか。」
 「世の中は法典や理屈だけで動いているのではない、この若造め。父が、どれほど苦労して今の職を勤めているか、解らないのか。」
 「はい。解りたいとも思いません。ただ一編の史書からアッシリアを無視したぐらいで、傾きかけたこの国が立ち直るはずもないのですからね。
 大切な皇女に偏向的な教育を施して、自由に物を考える機会さえ与えず、ひたすら政略のための道具に仕立て上げて、その皇女をエジプトに差し出せば、エジプトの後盾で国が盛り返す、などと考えているどこかの皇室の短絡思考よりも、一層無意味です。」
 「き、貴様! 恐れ多くも皇帝陛下の思し召しまで虚仮にするつもりか! 退がれ、馬鹿者!」
 わたしも言い過ぎたかも知れない。しかし、父の態度はどうしても承服できなかった。
 わたしは、それまで尊敬し、憧れていた父という存在に裏切られたような気がした。
 確かに、近・現代史学というものは、どうしても政治的に利用されやすい学問だ。とはいっても、父の態度は当たり障りのない著作を世に出し、目立つ仕事をしているように装うだけの、ただの保身に過ぎないではないか。

 書記官の座にしがみついていれば、収入も名声も放って置いてもついて来る。貴族の誇りや学者としての誠実さなど、食えはしない。そう言っているのに等しいではないか。
 翌日から、わたしは父と共に勤めに出ることを拒んだ。父も父だが、父にそういう態度を取らせる王宮そのものに、言いようのない反発を感じた。
 幅広い学問の中でも、特に近代史に力を入れている父の取り組みを通じ、わたしはムルシリ二世陛下の御代について深く学んだ。あの時代以降、この国は衰退の途にある。以前は堂々と交際していたアッシリアを、躍起になって過小評価しなければならないのは、アッシリアが悪いのではない。この国の力が衰えているからなのだ。
 それに対して、アッシリアはまさに興隆の途にある。
 それならそれでこの国の官吏たる者、皇帝陛下を守り立てて、余裕を持ってそのアッシリアをあしらっていた往時の隆盛を取り返すことに努めるべきではないのか。
 皇帝陛下の不興が、王宮の評判が怖くて学を曲げ、世に阿ることで、国の栄えが戻るのか。
 もう官服の晴れがましさなど、一挙に色褪せてしまった。いや、毎日の勤めの中で、わたしは知らず知らずに少しずつ、そんな王宮の退廃を感じていたのかも知れない。
 それからも、公然と出仕を拒み続けたわたしに、父も愛想が尽きたようだ。最初のうちこそわたしを急の病ということにし、療養中ということで体裁を繕ってくれ、わたしの同僚らに因果を含めて、見舞と称して説得に当たらせたりしてくれていたが、そんな連中が訪ねて来ても、床にも入らず平然と机に向かって生返事を繰り返し、剰え昼間から大っぴらに町をぶらつくわたしの態度に業を煮やした父は、わたしの病気退職を願い出、代わりに弟を出仕させるよう手配を始めた。
 無理にわたしを出仕させ、王宮で政治批判を口にされては、自分の立場も危うくなる。それも父には大変な問題だったのだろう。
 わたしは密かに馬を買い、荷物をまとめると、書置きも残さず家を出た。
 
 わたしはハットゥサを離れて、なるべく遠くへ行こうと思った。そして何となく流れ着いたのが、このカルケミシュであった。
 職人や小商人が屯していた町角に、宿屋があった。ぶらりと入って、何日という期限もなく、適当に宿賃を前渡ししてやると、物好きな女将があれこれ事情を知りたがった。
 それで、わたしは職を放り出し、家を飛び出した不良貴族ということになってしまったのだが、まあ、見当違いでもあるまい。
 女将は、わたしが町の者からみれば相当な金を持っていることを見て取ると、宿に長逗留する位なら、と、ちょうど売りに出ていた近所の家を買わないかと持ちかけてきた。狭い家だったが、わたしはその家を買った。
 この家は、ちょうど空家になっていて、顔の広い女将は、家主から買い手を捜してくれと依頼されていたらしい。
 とはいえ、金を持っている長逗留の上客に家を持たせてしまっては、女将は儲け損なう。家が売れた代金の一部は女将の懐に入るのだろうが、それにしてもそこまで他人の面倒など見なくてもよさそうなものだ。まあ、そういう面倒見のよさでこの女将は町の人々から信頼されているのだろう。
 その顔の広い女将があちこちで喋ったらしく、わたしがその家に住みついたことは瞬く間に知れ渡った。
 これから何をして暮らそうとも決めてはいなかったが、この町の者は学のない庶民ばかりで、日頃から役所へ提出する書類や手続の難しさに悩まされていた。仕方なく、態度だけは尊大なその辺の木っ端役人に金を掴ませて、何とかその都度しのいでいたらしいが、わたしが字を書け、諸法令にも通じているということを知って、人々がわたしにその用を頼みに来るようになった。
 そんな代書を、わたしは引き受け始めたのだが、場合によっては書記官としての知識を活かして、役所への届出や陳情など、すんなり通る裏技を教えてやったりもした。別に違法な手口を唆しているのではない。そんなものは、要は役人が足元を見る理由のつけられない方法を知っていればいいのだ。大抵のことなら袖の下など出す必要もない。その分の一部がわたしの報酬となり、わたしは代書屋ということになった。
 
 そんなわたしの許へ、ある日県庁から使いが来た。知事が会いたいと言うのだ。
 さては父が手を回したかとも思って、どうせハットゥサへ戻る気などさらさらないのだから、わたしは知事の目の前で徹底的に逆らってやろうと使いについて行った。
 するとどうだ。てっきり内々に通用口へ回されるのだと思っていたら、県庁の正面玄関に導かれ、門衛が槍を捧げて迎えてくれるではないか。もとより、門番如きにこちらから頭を下げねばならない義理はなかったが、これではまるで知事の賓客扱いだ。
 そしてわたしは直接、知事の執務室に通された。
 「そなたがアサティルワ・バーニか。よく来てくれた。」
 わざわざ席を立ってわたしを出迎えてくれたジュダ・ウルヒリン知事は、何やら本当に嬉しそうな顔をしていた。
 このような破格の扱いも、さては父の差し金かと勘ぐっていたわたしは、型通りの礼を取りながら、室内に気を配った。ハットゥサで見知った者か、あるいは父自身が、どこかに来ているのではないかと思ったのだ。
 「すまぬな、さぞ何事かと驚いたであろう。そう気を張らずともよい。
 用というのはこれだ。」
 知事は、自分の執務机の上にある二通の文書を示した。
 そこには、つい数日前、わたしが近郊の村の者に頼まれて代書した租税の減免願が置かれていた。
 税収不足が深刻化し、租税の徴収促進が強く要請されている昨今、この手の文書は往々にして下僚の手で握り潰されることが多い。
 少しでも多額の税収を上げることが手柄だと心得ている上司の許へ、そのような都合の悪い願を正直に取り次ぐような「気の利かない奴」は、出世できない。最近、そういう風潮が蔓延している。
 いくら知事が寛大でも、願が手許に届かないのでは手の下しようがないだろう。
 だから普通は、こういう場合、然るべき筋に相応の付け届けをして、知事の許に取り次いでもらえるように工作をするのが通例となっている。しかし、そのような付け届けをする余裕がある者なら、租税の減免など願い出る必要はない。渋らずにおとなしく納めている方が気楽だという程度の、決して高くはない税なのだ。

 しかし今回、村人の話を聞いてみると、落雷による火災で多数の羊が焼死したのだそうで、本当に困窮しているようであった。そこでわたしは、下僚どもには握り潰せないような内容の文書を作成し、最短の経路で知事の許に届くような提出の仕方を教えてやったのだ。
 とはいえ、あくまでも適法な手続を踏んだはずであるから、その事で叱責を受けるための呼び出しではないはずだ。
 知事が用意していたもう一通の文書は、先に王宮で作成、全国に配布した通達「災害被災者に対する租税の減免、徴収猶予等に関する取扱について」であった。
 実は、カルケミシュ向けのこの写本は、わたしが書記官として筆写したものなのだ。写本の最後には、筆写官の名としてはっきりと「書記官アサティルワ・バーニ」の署名があるだろう。
 「ははは、解ったか。昨日、この願がわたしの許に届いたので、関連法令を参照していて気がついたのだ。この願には作成代行者の署名はないが、まさにこちらの通達と同じ手蹟ではないか。
 そなた、どうしてこんな所にいるのだ?」
 どうして、と聞かれても、ちょっと説明しにくい。
 「いや、別に問い詰めはしない。そなたが病気を理由に休職し、その後、治癒の見込みが立たないとかで退職、代わりに弟が出仕を始めた、ということぐらい、人事発令を見れば判る。
 どうも近年、不治の病で退職する元気な若手が多いな。 …特に、親に逆らう極道息子が。」
 知事は、にやりと笑って見せた。
 何だ、知っているのか。わたしは観念して、少々脚色を加えながら経緯を告白した。
 「なるほどな。いや、学識は見上げたものだが少々気の小さい、あのアルマダッタならありそうなことだ。
 気にするな。ハットゥサではどうか知らんが、このカルケミシュにいる限り、そんな過去など問いはしない。
 それよりもアサティルワ・バーニ。わたしも前からな、ハットゥサから来る文書には必ず目を通しているが、そなたの書く物には感心していたのだ。任官して間もないというのに、無駄なく説得力があり、書いた者の学識の深さが感じられる。さすがは、かのイル・バーニの孫の名に恥じぬわ。
 どうだ。そなた、この県庁に出仕する気はないか。そなたさえよければ、ちょうど首席書記官の椅子が空いている。皇帝陛下から見れば陪臣ということになるが、まずは王宮の書記官長に準ずる地位だと思っていいだろう。何しろ…」
 「お言葉ながら。」
 わたしは、無礼を承知で知事の言葉を遮った。
 「このような若輩者には過ぎたるお誉め、まことに痛み入ります。しかしながら、わたしはもう、官職に就く気は毛頭ありません。」
 「しかし、そなたはまだ若い。立身出世もこれからではないか。」
 「今、申し上げたではありませんか。わたしは官途にあって出世のために努力するということがどんなことか、それに幻滅したのです。
 わたしは、そのような偽りに満ちた世界にいたくありません。たとえ一生野人であってもいい、本当に自分のやりたい学問を、少しずつでも究めて行きたいのです。」
 知事は、口を固く結んで、わたしの顔を見詰めた。
 「そうか… そうだな。ここで宮仕えに戻っては、せっかくハットゥサを飛び出した値打ちがないな。
 解った。先程の勧めは取り消す。
 しかし、どうだ。その代わり時々でいいから、ここへ来てわたしの話し相手になってくれぬか。わたしも天文学を修めた父の影響か、学問が好きでな。しかし、何しろこの田舎のことだ、そういう方面でまともに話の出来る相手がいなくて、退屈していたのだ。
 もちろん、このカルケミシュにいる限り、そなたは自由な一市民だ。たとえハットゥサから何を言って来ようと、そなたの立場は知事が保証する。」
 そこまで言われては仕方がない。この町の一市民になる以上、知事の召しがあるというなら闇雲に拒んでいてもおれまい。その上、王宮に対する虚偽の申告で職務を放棄した罪も問わず、この町に住まわせてくれるという。
 わたしは、知事の要請を了承した。
 この知事は、確かムルシリ二世帝と皇位を争い、敗れてカルケミシュに下ったジュダ・ハスパスルピ皇子の息であり、正妃のマリエ・イナンナ姫はユーリの伯母に当たるはずなのだが、なかなか話の解る知事のようだ。

 以来、わたしは代書屋稼業の傍ら、事あるごとに知事の招請を受け、知事の相談相手を勤めるようになった。
 

 「オロンテス恋歌」と「イシュタル文書」に並行するお話です。
 原典には、イル・バーニの息子、そして孫について詳しくは触れられていません。
 しかしこの二人にも、それぞれ一筋縄では行かない事情があったのではないかと思われ、そのあたりを想像してみました。
 原典(「ファンブック」)中、氷室聡によって発掘・解読された「イシュタル文書」は、その第一書板及び最終書板の記述から、原著者として書記官アルマダッタ・バーニの名が確認されたようですが、触れられている事件や人物の年代を考えると、発掘されたのはどうもアルマダッタ本人が書いた原本ではなく、後世の人物によって増補された写本らしい様子です。
 そうなると、ここで問題としたアッシリアの件、あるいは原著には詳しく述べられていたものが、その「後世の人物」によって削除された可能性もなくはありません。「イシュタル文書」の他の部分には、アッシリアについての中途半端な記述が散見されるのです。だとすれば、このお話もまた全く違ったお話になって来るのですが。
 以下、後編に続きます。

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